昭和52(1977)年青森市新町通地図
全体
西側
中央
東側
当時、「あすなろ国体」開催を控え、「レンガ通り」としてリニューアルした商店街の地図です。懐かしのお店がズラリ!当時を偲んでください。(資料提供:青森八郎氏)
『あるく みる なっとく 野辺地の自然と文化』
図録内容見本(PDFファイル:4.7Mb)
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〒039-3131 青森県上北郡野辺地町字野辺地1-3 野辺地町立歴史民俗資料館
青森空襲体験者の証言録音第三弾!
昭和20(1945)年7月28日夜、青森市は米軍の空襲によって1000人を超える死者が出る、壊滅的被害を受けました。その当時の生々しい体験談の録音第三弾を公開します。当時、小学4年生の平泉喜久郎さんです。青森市長島に住んでいて、空襲を受け、近くの広田神社の池に逃げ込んで、助かったという。
特に、若い世代の人たちに戦争の恐ろしさを知ってほしいと思います。
平泉氏体験証言
青森空襲体験者の証言録音第二弾!
昭和20(1945)年7月28日夜、青森市は米軍の空襲によって1000人を超える死者が出る、壊滅的被害を受けました。その当時の生々しい体験談の録音第二弾を公開します。当時、小学6年生の方です。おばさんのミルク配給券を得るために、奇しくも空襲当日、木造町から青森市に列車で向かう。
特に、若い世代の人たちに戦争の恐ろしさを知ってほしいと思います。
青森空襲体験証言
棟方志功画伯は戦時中、出征兵士の無事帰還を祈って、フンドシに虎の絵を描いておくったそうです。虎は千里を行って、千里を帰るという。郷里青森では、一般に「虎ふん」と呼んでいたようです。一説には、棟方は数千枚もの虎の絵をフンドシに描いたとも言われています。名誉の戦死が美徳の時代に、生きて帰って来いと言うことは、かなり勇気の行ったことと思われます。
このフンドシは、青森県内某所のお蔵に保管されていたものです。まだまだ、「お宝」はあるところに、あるものですね。
青森空襲体験者の証言録音!
昭和20(1945)年7月28日夜、青森市は米軍の空襲によって1000人を超える死者が出る、壊滅的被害を受けました。その当時の生々しい体験談の録音を公開します。特に、若い世代の人たちに戦争の恐ろしさを知ってほしいと思います。
青森空襲体験証言
蓮華寺前(写真提供:青森空襲を記録する会)
青森まちかど歴史の庵「奏海」パンフレット完成!
A4版三つ折(両面で6面)で制作しています。お知り合いなどにお配りしていただければ、幸いです。
青森まちかど歴史の庵パンフPDF(1016Kb)
青森まちかど歴史の庵「奏海(かなみ)」8月1日 青森市本町にオープン!
過去の歴史の中から、これからの青森市が進むべき方向を見つけ出す手助けにと、今村修さんが私財を投じてオープンさせます。いよいよ、予定通り、明日10時オープンです!
より大きな地図で 青森まちかど歴史の庵 を表示
青森まちかど歴史の庵 奏海(かなみ) のブログ
ハネトサミット開催される!
7月28日午後1時30分から、青森市安方のワ・ラッセを会場に、「ハネトサミット」が開催されました。会場にはおよそ40名の市民が参加しました。あまり広報がされていなかったのか、寂しいサミットとなりました。
なお、阿南透先生の御講演録音(約25分)公開については、先生並びに関係者から許可を得ております。この場をお借りして、厚くお礼申し上げます。
シンポジューム
Muzicons.com
(録音時間:約25分)
阿南透「ねぶたとハネトの現代」録音
「青森空襲展」開催中!
7月25日(木)〜28日(日)午後9時〜午後5時まで、青森市松原にある中央市民センター2階で開催されています。 入場無料です。「青森空襲を記録する会」が毎年開催しています。戦争を風化させないためにもお出かけください。
展示会場の様子青森市古川周辺
青森空襲を記録する会