古写真の今昔

 その当時は、極々ありふれたであろう風景を切り取った写真が、数十年の時を経ると歴史的価値を増してきます。なぜなら、この「地球上のある場所をある時間に切り取った同じ写真」があったとしたら、それは奇跡以上の偶然でしかないからです。日々、不要品として捨てられていっている「古写真」は、実は私達の歴史を雄弁に語ってくれる歴史資料にほかならないのです。

 このコーナーでは、私なりに1枚の古写真から何を導き出せるのか、試行錯誤的に解説文を書いてみて、皆様方からのご批判を頂戴し、且つ古写真+解説文の投稿を頂戴し、当コーナーに掲載しながら、共に古写真を収集・研究することの楽しさや意義を考えてみたいと思います。

第1回 青森県庁東棟の変遷

県庁昭和42年.jpg昭和42年頃、青森県庁東棟前の雪山の上を下校する長島小学校の児童達。画面中央の東棟が5階建。藤巻健二氏撮影

県庁昭和46年増築.jpg昭和46年、6階に増築中の東棟(右端)。超お宝写真!写真提供:室谷洋司氏


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青銀県庁支店マッチ.jpg青森銀行マッチラベル

県庁パンフp1web.jpg青森県庁パンフレット1頁(昭和36年) 資料提供:室谷洋司氏

県庁パンフp4web.jpg青森県庁パンフレット4頁(昭和36年) 資料提供:室谷洋司氏

 初回の定点観測は、青森県庁東棟を取り上げました。現庁舎は昭和36(1961)年1月に完成式をあげました。著名な建築家谷口吉郎の設計によるものです。

 当初、南棟と同じく6階建ての予定が、予算の都合で5階に減階されたらしい。その後、部署が増えたこともあり、昭和46(1971)年に6階部分を増築しました。6階への階段は少しずれた位置にありますが、意外と知られていません。6→5→6へと変遷した東棟の貴重な写真です。建築後50年以上経過した建物は、流石に今後予想される大地震には耐えられないようで、耐震補強の一環として、5階へ減階される計画のようです。人は老いて幼児に帰って行くと言いますが、青森県庁舎も年数を経て、6階→5階→6階→5階と昔へ帰っていくようです。

 また、県庁前にあった横断歩道橋は、ねぶた運行の妨げとなるということから、撤去され、地下道を通るようになっています。ねぶた撮影ポイントの一つが失われたのは、寂しい気もします。建築当初はなかった横断歩道橋が車社会の到来とともに歩行者を守るために設置され、時を経て、ねぶた運行の妨げとなるということから、地下道に切り替えられ、昔に戻っていく。輪廻を感じる。

 更に、県庁パンフレットからは、色々なことがわかってきます。例えば、電話番号は、局番無しの4桁、冬期間の執務時間は午前8時30分から午後4時まで。土曜日(夏は正午までの半ドン)は午後3時まで.。東棟は、「県庁別館」と呼ばれていた、その別館には教育委員会が入室していた、本館屋上には「展望室」があった、などなど。(青森太郎)