【食品化学余話】
考古学の残存脂肪酸分析と食の問題(前編)
−旧石器にナウマン象の脂肪はあったのか?− 山口 昌美
1.はじめに
2000年11月、毎日新聞のスクープにより、藤村某氏による旧石器発掘ねつ造事件が発覚した。そして、今年5月の日本考古学協会による検証結果報告で、藤村某氏の関与した遺跡と遺物は学術的価値がない、つまり、でたらめであるという全面否定で決着した。
この旧石器発掘ねつ造事件の思いもかけぬ余波を受け、食品と縁の深い脂肪や脂肪酸に関係する「残存脂肪酸分析」と呼ばれる考古学において定着していた理化学的手法の信頼性が問われる事態が起こった。
考古学は、現在に残る遺跡、遺物から古代の人の生活、社会を考究しようとする学問である。石器や土器などの遺物を土台としているので、それらの判定や解明に様々な理化学的手法が使われている。それらの理化学的手法の中には、食品分析やバイオ技術でなじみのある手法もある。例えば、青森県三内丸山遺跡で縄文人がクリを栽培していたとする説の根拠は、DNA分析により、遺物のクリが野生クリより遺伝的に均一であることが確認されたためとされている。
イネ、ヒエ等に存在するプラントオパールと呼ばれる微細なケイ酸粒子は、特異な形状を呈し、化学的に安定で長い年月の間にも変化しない。プラントオパールは考古学において、イネ科植物の栽培や種類、水田跡の確認などに応用されている。
コラーゲンは、健康食品素材やゼラチン原料として利用されているが、コラーゲンの炭素・窒素安定同位体比は動物が摂取した食資源の同位体比を反映するので、考古学での分析手法の一つとなっている。安定同位体とは、D、13C、15N、17O等であり、通常のH、12C、14N、16Oより、原子量が大きい元素である。炭素・窒素安定同位体比法は、古人骨のコラーゲン試料の13C、15Nを精密に測定することにより,古代人が何を食べていたかを推定する方法である。
「残存脂肪酸分析」は、遺物に付着残存している古代の脂質を分析し、そのデータを解析することにより、その脂質がどのような植物や動物に由来するかを推定する方法である。そして、判明した植物や動物から、古代人の食や生活状況を推理しようとするものである。
「残存脂肪酸分析」は、1980年代に日本に導入され、古代人の食の推理に科学的根拠を与える理化学的手法として、考古学関係者からは画期的な分析法と見なされていた(1)ようである。
考古学で扱う遺物は古いが、その分析にはDNA分析、炭素・窒素安定同位体比法、プラントオパール、「残存脂肪酸分析」など、新しい科学的手法が用いられている。ここでは、旧石器発掘ねつ造事件に関連した石器からのナウマン象脂肪の検出問題、縄文クッキーなど、食品と関係ある考古学のトピックスを紹介し、「残存脂肪酸分析」ならびに縄文の食についての筆者の考え方を述べたい。なお、縄文、弥生の食については多くの論文や著作があるが、その多くは考古学者によるものであり、食品関係者による論文や著作は見あたらない。そのためか、主観的な印象を感じるものが多い。古代の食生活の科学的解明には、食品関係者の積極的な関与が必要と思われる。この小文がそのようなきっかけになることを願っている。
2.旧石器にナウマン象の脂肪?
インターネットに掲示板という仕組みがあるのはご存知の通りだが、旧石器発掘捏造事件発覚直後から、考古学関係の掲示板では、前期旧石器遺跡の信憑性を巡り、考古学以外のいろいろな専門分野の人も含め、激しい議論(2)が展開されていた。今となっては、藤村某氏の関係した遺跡は全て信頼できないと結論されたわけだが、当時は考古学関係者は前期旧石器信奉派が多く、否定派は他分野の者が多かった。
前期旧石器信奉派の考古学関係者が理由の一つとして挙げたのが、馬場壇Aという前期旧石器遺跡(宮城県)の10万年以上前の地層から発掘された石器に、ナウマン象の脂質が検出されたという科学的な証明があったことである。旧石器人は、その石器でナウマン象を調理していたことになる。ナウマン象の脂質は、「残存脂肪酸分析」により存在が確認されたとされていた。
これに対し、この「残存脂肪酸分析」は誤りであり、科学的な証明にはならないとの主張を難波教授(広島大学:病理学)が掲示板上で展開した。そして、激しい論戦の末、同調する考古学関係者も現れ、その協力を得て、病理学の教授が日本考古学協会総会で発表するという異例の事態になり、前日の日経紙にもニュースとして取り上げられた。当日、会場は掲示板での経緯を知っている考古学関係者で満員の盛況を呈したというが、発表後、質問や反論は全く出ず、病理学の教授の所論が考古学学界で認められる結果になった。
難波教授の発表は、馬場壇A遺跡の脂肪酸分析に関し、対照実験の不備、異常に多い検出脂肪量、低融点のパルミトレイン酸(炭素数16の不飽和脂肪酸、融点0℃近辺)が流出せず残存していた不思議さ、ナウマン象脂肪にはパルミトレイン酸が存在しないのにナウマン象脂肪と推定した不思議さ、10万年以上前の古い石器から不飽和脂肪酸が検出されたことはネーチャー誌等の一流誌に報告されて然るべき大発見なのにどこにも原著論文が発表されていない不思議さ、脂肪酸分析データの解析にラグランジェの未定係数法を用いている数理統計上の原理的な誤り、等の多方面からその報告の不備を指摘したものであった。そして、「馬場壇A遺跡において石器からナウマン象脂肪が検出されたという主張には、確実な証拠がなく、まして動物種の確定は用いられた方法がラグランジェの未定係数法である限り原理的に不可能であり、従って馬場壇A遺跡の信憑性を支える科学的証拠のうち脂肪酸に関しては、これはまったく存在しないものとみなすべきである」と結論付けた。
馬場壇A遺跡が藤村某氏の捏造と判明した現時点でこれらの指摘を眺めると、異常に多い検出脂肪量、低融点のパルミトレイン酸の存在など、藤村某氏の手の脂と解釈できる。難波教授の不審点の指摘は適切であった。難波教授の発表要旨(3)ならびに発表記録(4)はネット上で閲覧できるので、詳細はそれを参照されたい。
3.残存脂肪酸分析の検証
さて、難波教授の批判は馬場壇A遺跡に向けられたものであるが、その中には個別遺跡から離れ、「残存脂肪酸分析」全般に通用するラグランジェの未定係数法の誤用の指摘があった。ラグランジェの未定係数法を使用しなければ、考古学の「残存脂肪酸分析」は信頼できるのか?食品化学の立場から見たらどうなるか?筆者は「残存脂肪酸分析」について興味を覚え、「残存脂肪酸分析」の科学性と成果について検証してみた。検証結果をまとめた小論文は、多くの考古学関係者の協力を得て、ネット上で公開(5)されている。賛意はあっても、格別の反論は無いので、一つの論として合理的に許容し得る範囲にあるかと思っている。以下、その概要を紹介する。
3.1 「残存脂肪酸分析」とは
図1.残存脂肪酸分析のプロセス |
P0.遺物の発掘、分析対象の選定 ↓ P1.遺物からの残存脂質の単離 ↓ P2.残存脂質の加水分解による脂肪酸の遊離 ↓ P3.遊離した脂肪酸の分析 ↓ P4.残存脂質の脂肪酸の組成の把握 ↓ P5.残存脂質の脂肪酸の組成から 本来の脂質の動植物種の推定 |
(案内人補註) 註21)の杉山洋氏の論考は、以下の奈良文化財研究所のホームページで閲覧することができます。あわせて、中野氏らが行った残存脂肪酸分析の結果もご覧ください。http://acd.nabunken.go.jp/Nabunken-Doc/hukyu/gakuhou/gaku52/gaku52.html
【食品化学余話】 考古学の残存脂肪酸分析と食の問題(後編)
−縄文クッキーの謎に迫る−
山口 昌美
【食品化学余話】 三内丸山”縄文都市”の食糧問題
−クリは栽培されていたか?− 山口 昌美
【三内丸山遺跡】
三内丸山遺跡(1)は面積約39ヘクタールの日本最大の縄文集落の跡で、国の特別史跡に指定されている。青森市の西南、駅からタクシーで15分程度の距離にある。平成4年度から始まった青森県営野球場建設に先立つ発掘調査で、規模の巨大さが確認され、球場建設は中止、遺跡の本格調査が行われた。三内丸山遺跡の集落は今から約5500年前から4000年前まで(縄文時代前期から中期まで)の1500年間の長期にわたって継続して営まれたとされる。
三内丸山遺跡は、居住域、高床倉庫群、大型掘立柱建物、廃棄ブロック、大人の墓地、子供の墓地などの配置に規則性があり、いわば「都市計画」が存在し、巨大木を取り扱う「高度な土木建築技術」が存在したとされる。さらにヒスイなどの「広域的な交易」、漆器など「高度の加工技術」、多様な食生活が指摘されている。獲物を捕り、貝を拾い、木の実を集めて、細々と暮らしていたという従来の貧しい縄文人のイメージは、三内丸山遺跡の出現により一変した。そして、縄文都市、縄文文明との表現まで表れ、三内丸山には約五百人が居住していたとの説(2)(3)が唱えられている。
【三内丸山人の食と酒】
三内丸山の縄文人がどのようなものを食べていたのだろうか?その食生活については遺存している廃棄物の分析や地層の花粉分析などから推定されている。縄文前期と推定される地層に残されていた花粉分析の結果、クリの花粉が八割以上を占めていた(4)ことやクリの実のDNA分析から、クリが栽培されていたとの説(5)が提出され、専門家間での異論はないようである。また、イネ科植物であるイヌビエのプラントオパールが遺跡から大量に見つかっており、食料にしていた可能性が議論(6)されている。マメ類やゴボウ・エゴマ・ヒョウタンなども栽培されていたとの説(1a)もある。狩猟や漁労による獲物としては、三内丸山遺跡ではムササビやノウサギなどの小動物が多く、魚類ではマダイ・ブリ・サバ・ヒラメ・ニシン・サメ類などが多いことが報告(1a)されている。
また、エゾニワトコやサルナシ・クワ・キイチゴなどの種子が、まとまって多量に出土し、発酵したものに集まるショウジョウバエの仲間のサナギなどと一緒に出土していることから発酵による果実酒の醸造(7)、さらには蒸留酒の製造(8)までが唱えられている。
さて、このようなバラ色の夢に包まれて語られる三内丸山の縄文人の生活であるが、その実態はどうであろうか?そのような説は、合理的な根拠に基づいて唱えられているのであろうか?
本稿では、三内丸山の食糧問題について、一般的に唱えられている説の根拠を検証し、その合理性を確認してみたい。検討対象としては、500人の主要食糧とされるクリまたはヒエの生産量の問題、DNA分析とクリ栽培の問題、ニワトコからの蒸留酒の問題の3点を取り上げることにする。
【五百人はクリで生活できたか?】
三内丸山の縄文人の主要食糧がクリであったという前提に立ち、三内丸山のクリ生産量に関する試算が考古学関係者により二つ報告されている。
1.これまでの報告
☆三内丸山のクリ生産可能量
その報告の一つは、三内丸山のクリ生産可能量の推定で、新美倫子氏(名古屋大学)の報告(9)である。つまり、三内丸山の縄文人が利用可能であったと想定されるクリ林の面積とそこから得られるクリの量を試算したものである。試算の基礎は、縄文人の行動範囲を半径10kmの円とし、そのうち三分の一を海として控除した残りの面積200平方キロ、その面積の10%がクリ林、クリの密度は10mおきに1本、クリの総本数20万本、1本からのクリ生産量4Kgとしている。
この試算によると、三内丸山の縄文人の利用可能な範囲のクリ生産量は800トンになる。そして、所要エネルギーの80%をクリから摂取するものとして、大人が1年間に必要なクリの量は417kg、従ってクリ800トンからは1918人を養えると結論している。この試算では、クリだけでも二千人近くの扶養力はあり、さらに、クリ以外にもクルミ、ヤマイモといった植物性食料や魚類、鳥類、哺乳類が加われば、さらに多人数を扶養が可能になるとしている。
☆三内丸山五百人の生存に必要なクリ所要量
二番目の報告は、三内丸山五百人の生存に必要なクリ所要量を推定した小山修三氏(国立民族学博物館)らの報告(10)である。一人一日の所要エネルギーを2000kcalとした試算では、一人一日あたり必要なクリ量は1282g、皮などクリの廃棄率を30%とすると必要なクリ量は1832gと計算された。
五百人が一年に必要なクリ量は、334トンとなる。そして、334トンのクリの生産に必要な面積を514ヘクタールと試算している。三内丸山遺跡の面積は約39ヘクタールなので、五百人を養うにはその約13倍の面積のクリの純林が遺跡周辺部に必要となる。
2.これまでの報告への疑問
☆三内丸山のクリ生産可能量
さて、三内丸山のクリ生産可能量の新美氏の推定は、二千人近くの扶養が可能としているが、この推定の問題点は、実証データに基づいていないことである。行動範囲、クリ林比率、クリの本数、そしてクリ一本当たりの収量、いずれも想定値である。
縄文人の行動範囲を半径10kmの円としているが、これは東京の山手線内部よりはるかに大きい。人の歩行速度は4km/時間程度なので、三内丸山の中心部から外周部への往復に5時間必要となる。クリが成熟する日の短い秋に、5時間歩行に取られると残りの実働採集時間は幾ばくもない。その内に降雪が迫る、リスなどの小動物による競合もあり、笹や下草に隠れた栗は拾えない、仮にクリ生産量800トンとしても縄文人が利用できる量はその一部であろう。
栗が落ちてから降雪までの日数を考慮すると、200平方キロから人力で800トンの栗を中心部まで運び込むのに一人当たりどの位の重量をどのくらいの距離を運搬しなければならないか、試算すると、不可能に近い数値になる。栗生産量と人の利用できる収穫量とは異なることに留意する必要があろう。
さらに、クリ一本当たりの生産量を4kgとして試算しているが、その後に発表された新美氏自身の野生クリ19本の実測値に関する報告(11)では、一本当たり生産量が1kg未満のクリが15本、1〜2kgのクリが2本、2kg以上のクリは2本であり、新美氏の当初の想定値より小さい。
当初の試算は、三内丸山でのクリによる扶養最大人数の目処を示した点で評価されるが、前提に想定値が多く、前提抜きの結論だけが一人歩きするのは問題であろう。
☆三内丸山五百人の生存に必要なクリ所要量
三内丸山五百人の生存に必要なクリ所要量334トンを推定した小山氏の試算(10)は、推定根拠、推論過程とも合理的である。そして想定したクリ生産に必要な面積514ヘクタールも現在のクリ産地の実績(茨城県岩間町1.07トン/ヘクタール)(12)から見ても妥当な数値と思われる。
推論が合理的であれば、次は、その推論が発掘により実証されているかということになる。三内丸山遺跡周辺で514ヘクタールのクリ純林の痕跡が発掘により実証されているかどうかということである。514ヘクタールといっても実感はわかないが、18ホールのゴルフ場の総面積が100ヘクタール位なので、ゴルフ場5つに相当する広大な面積である。わずかな面積であれば遺存しているクリ花粉の検知は困難だろうが、この広大な面積であれば検知は容易であろう。
しかし、三内丸山遺跡の外部でクリ花粉の計画的な検知を試みた報告はないようである。三内丸山遺跡で、クリの花粉が花粉全体の80%も占めていたという報告(4)が出回っているが、それが三内丸山全域をメッシュに区切って検出した三内丸山を代表できる平均値なのか、特定地点のある地層の検出値なのか、判然としない。統計的なサンプリングの思想が、考古学の試料設定ではあまり考慮されていないように見える。三内丸山云々と全体を議論するなら、それなりのサンプリングが必要であろう。ある一カ所の測定値を全体に敷延し、議論するのは合理的とは言えない。
現状では、三内丸山遺跡内部でクリが優勢であったとは言えようが、遺跡内部の約20%程度を占める[(13)の図から判読]に過ぎず、五百人の生存に必要なクリが存在していたという証拠はない。三内丸山遺跡周辺部で、ゴルフ場5つに相当する広大な面積からのクリ花粉が確認されない限り、五百人クリ扶養説は疑問であろう。
【五百人はヒエで生活できたか?】
イネ科植物であるイヌビエのプラントオパールが三内丸山遺跡から大量に見つかっており、食料にしていた可能性が高いとされる(6)。五百人のエネルギー源をヒエに依存した場合、必要な面積はどのくらいになるであろうか?
小山修三氏らの試算(10)では、ヒエの廃棄率40%を考慮すると一人一日あたりの所要量は902g、五百人、一年間では165トンのヒエが必要とされている。そして、昭和20年前後の収量である1ヘクタールあたり3.06トンを用い、所要面積54ヘクタールを算出している。
作物の生産性は、土地の無機養分からの制約を受ける。人為的な無機養分の補給が可能になった昭和年代と異なり、三内丸山の縄文時代は無機養分を自然界の輪廻に依存していたわけである。従って所要面積には修正が必要であろう。
山口淳一氏(北大)の論文(14)によると、焼畑農法では無機養分の回復に休耕期間が必要となり、焼畑農法による土地の人口扶養力は、ヘクタールあたり最大限0.4人とのことである。五百人では1250ヘクタールの面積が必要になる。
これらの所要面積は三内丸山遺跡の面積39ヘクタールよりはるかに多く、三内丸山周辺の広範囲にわたってヒエ畑が展開していなければならない。三内丸山周辺のヒエのプラントオパールの拡がりがどのくらいか、調査した報告はなさそうである。ヒエの場合も、遺跡の特定場所の特定地層でヒエのプラントオパール見出されたことを根拠に、「三内丸山では、…」と全域の話に論理を飛躍拡大させている気配がある。ヒエ食糧説を説得性ある姿にするには、三内丸山周辺のヒエのプラントオパールの拡がりを調査する必要があろう。
【クリは栽培されていたか?】
佐藤洋一郎氏(静岡大)が、三内丸山遺跡から発掘されたクリのDNAのパターンの揃い具合から、クリに人間の関与があり、クリが栽培されていたとの説(15)を打ち出したのは有名な話で、専門家間で定説化しているようである。これに対し「発見されたクリは、一つの木に実ったものであるからDNAが揃っている」との疑問が当初提出されたようだが、佐藤氏は「栗が自家不和合性を持ち、自分の花粉では受粉できないので、一つの木に実ったものでも、ばらつきがある」と反論し、反対論は影を潜めた。
佐藤氏が用いたクリ試料は、遺物のクリ試料が三内丸山第712号土坑出土のクリ子実21個、対照として用いたクリ試料は三内丸山遺跡を中心とする半径10キロメートルの円内で採取した野生のクリ20株から採った葉を用いている(16)。同一箇所からの出土品ということで、一つの木に実ったものでは?との疑問が投げかけられたわけである。佐藤氏は、平均遺伝子多様度とか、他家受粉を持ちだして、反論を論破した。
しかし、数ヶ月前の考古学掲示板(17)で、佐藤氏説の根本に関わると思われる疑問が提出された。それは、「佐藤氏が分析に用いたDNAは核DNAなのか?細胞質DNAなのか?」という疑問である。
一般に細胞核に収納されている核遺伝子は父親と母親から半分ずつ受け継いだものであるが、ミトコンドリア、葉緑体等の細胞質遺伝子は母親からしか受け継がないという特徴を持つ(18)とされる。
クリは他家受粉なので、核DNAでは、同一母木でも父木の差による変異があり、佐藤氏の説が通用する。しかし、葉緑体等の細胞質DNAであれば、父木の影響を受けず、母木からしか受け継がないので、同一母木であればDNAパターンは揃う筈である
このあたりに関する佐藤氏の説明は見あたらない。佐藤氏が分析したのが細胞質DNAであれば、細胞質DNAは母性遺伝するので、同一のクリの木から採れたクリの実のDNAは揃って当然と思える。栽培云々の問題ではなく、クリの母本が同一だっただけの話である。野生のクリは三内丸山周辺から集めたので、母本が違うので、細胞質DNAにバラツキがあって当然であろう
。
本誌読者にはバイオや遺伝に詳しい方も多いかと思うが、是非の判断、ご意見を戴きたいものである。なお、佐藤氏は現在のクリの木で、同一母木でもDNAパターンがばらつくことを確認したとしているが、試料は第三者の手を経た試料であり、その論文は外部者が閲覧困難な修士論文である。(19)
佐藤氏が測定したのが細胞質DNAか、または由来不明の場合には、DNAの均一性は、人による改良とか、栽培の話には繋がらない。佐藤氏は測定したのが核DNAか、細胞質DNAか、不明なのか、はっきりさせる必要があろ
う。
なお、「生物のDNAの大部分は細胞の核内にあるが、それらを分離するのは古い試料では困難なので、核外の細胞内小器官(植物の葉緑体、動物のミトコンドリア)のDNAがもっぱら利用されている」(20)、「炭化種子の状態にもよるが,細胞の中のコピー数の多いものは崩壊を免れているものもあり,その意味で色素体DNA(葉緑体にあるDNA,細胞中にかなりのコピー数がある),ミトコンドリアDNA(動物にもある)が標的となりうる…中略…このように確率的には色素体の方が成功しやすい」(21)の指摘もある。
このような指摘からの類推では、佐藤氏は細胞質DNAを測定した可能性が強い。測定したのが細胞質DNAであれば、DNAパターンが揃っていたからクリを栽培していたという佐藤氏の説は成立しない。
佐藤氏が核DNAを測定していた場合でも、栽培説の他に、同一母木からの採集品という可能性が残されていることに留意すべきである。クリの花は、植物学者は虫媒花とし、その受粉は虫の媒介によるとしているが、実際の栽培に携わる農業関係では風媒花と見なしている(22)(23)(24)。農家では、結実向上の為の受粉用品種を混植するが、茨城農試の研究では13. 5m以上離れると受粉樹の影響は認められないとのことである(22)。換言すれ ば、クリの核DNAが影響を受ける父木は13.5m以内の樹だけとなり、特定の母 木に注目すれば、父木の組合せは無限の組合せでなく、非常に限定されることになる。同一 の母木から採集したクリのDNAパターンが揃う確率は高いと思うが、如何なもので あろうか。
【蒸留酒が製造されていた?】
1.これまでの報告
今年3月17日付けの東奥日報は「三内丸山びとは蒸留で酒造り?」という記事(25)を掲載した。その記事は、3月21日青森市で開かれる三内丸山遺跡報告会(青森県教委主催)で発表予定の佐藤洋一郎氏(静岡大)と石川隆二氏(弘前大)の報告の概要であった。記事内容を箇条書きで示すと
(1)三内丸山出土のニワトコの炭化種子をDNA分析にかけたところ、エゾニワトコに近い種類であることを見出した。
(2)エゾニワトコはアルカロイドと呼ばれる水溶性の毒性成分を含むことから、食用には適さないとされる。
(3)有毒なエゾニワトコでは、三内丸山でニワトコは酒造に使われてきたという通説が成立しなくなる。
(4)だが、「祭祀(さいし)性が極めて強い三内丸山という大規模集落で、祭りという儀式に不可欠な酒が造られていなかったとは考えにくい。
(5)従って、三内丸山人はエゾニワトコの毒性成分を取り除く技術を持っていた可能性が高く、三内丸山人は単純な発酵酒ではなく、アルコール度の高い蒸留酒を造っていた可能性がある。 記事内容はネット上で閲覧できる(25)ので、確認いただきたい。
【これまでの説への疑い】
三内丸山で酒醸造が行われていたという通説は、三内丸山の生活廃棄物捨て場から、ニワトコの種子及び発酵物を好むショウジョウバエの蛹らしきものが出土したという事実からの推理である。(7)
ところが、岡田茂弘氏(東北歴史博物館)の「縄文の酒」(26)によると、ニワトコの実は糖度が低いために酒を造れず、辻誠一郎氏(国立歴史民俗博物館)は、エゾニワトコの実を乾燥して糖度を高め、煮出し汁を自然発酵させアルコール度数2度の酒を得たとのことである。青森教育庁三内丸山遺跡のホームページ(1a)でも、ニワトコの実を乾燥して糖度を高め、煮出し汁とニワトコの実を分離し、煮出し汁を発酵したイラストが出ている。辻氏の実験やこのイラストに従うと、発酵したのは糖度を高めた煮出し汁である。分離したニワトコの実自体は発酵と縁が無い状態で廃棄されたことになる。
ニワトコの種子及び発酵物を好むショウジョウバエの蛹らしきものが一緒に出土したから、ニワトコから酒醸造をしていたとの説は根拠を失う。何らかの用途で用いたニワトコ廃棄物が腐敗し、それにショウジョウバエが群がったと考えた方が矛盾が少ない。
前記(1)〜(5)からは、「三内丸山人は酒を造っていた筈」という強い思いこみを感じるが、論理の合理性は如何なものであろうか?真実に近づくためには、種々な推測があっても良いと思うが、理系学者の第一の責務は、考古学者の推測の基になる客観性ある事実を理系の立場で提供することであろう。
例えば、エゾニワトコの毒性成分であるアルカロイドとは具体的には何か?その毒性は急性毒性か、慢性毒性か?どんな中毒症状を起こすのか?毒性の程度は?エゾニワトコ中の含量はどのくらいか?果実酒はどの位の糖濃度の果実からなら製造可能なのか?エゾニワトコの糖濃度は?糖組成は?など、出典を明示しながら提供することが理系学者の役割であろう。
これらの情報を提供した上で自説を展開することは結構と思うが、これらの理化学的根拠の呈示なく、「祭祀性が極めて強い三内丸山という大規模集落で、祭りという儀式に不可欠な酒が造られていなかったとは考えにくい」との発言は唐突であり、馴染めない論理展開である。客観性ある理化学的な情報が提供されれば、考古学関係者が酒造原料とか蒸留酒とかとは異なる別の推測を考えつくこともあり得よう。
因みに、インターネットでエゾニワトコの毒性について調べると、エゾニワトコに関するホームページは多数あったが、毒性を明記した情報は得られなかった。鳥が食べる旨の記載はいくつかあったので、鳥には無毒なのか、それともアルカロイド云々は伝承的な説で実証されていないのか。ニワトコのレクチン(植物に存在する糖結合蛋白質)の構造が、毒性の植物蛋白であるリシン(ひまし油を採取するヒマに存在)などと分子進化的に深い関連を有するとの記載(27)がある。もし、エゾニワトコにあるとされる毒性がアルカロイドでなく、レクチンに由来するものであれば、レクチンは蛋白質なので、醸造中に酵母により分解される可能性が高く、「蒸留技術」は必要でなくなる
エゾニワトコ=酒原料が定説化しているが、その他の説はないのだろうか?エルダベリー(=ニワトコ)の果実より搾汁又は抽出して得られる色素は食品添加物(着色料製剤)で、特異なにおいを有する液体で酸性域で鮮明な赤色を呈する(28)とのことである。縄文ポシェットを作ったおしゃれな三内丸山人好みの染料になるのではと思う。エゾニワトコは利尿、かぜの薬用になるとの記載(29)もある。
【おわりに】
大きい(遺跡規模)、長い(居住期間)、多い(遺物量)とのキャッチフレーズで華々しく登場し、縄文都市、縄文文明などの概念を産んだ三内丸山遺跡は、現在、そのキャッチフレーズや概念に対する反省期に入った感を受ける。今年になって開設された青森県教育庁の三内丸山遺跡ホームページ(1a)では、キャッチフレーズは姿を消した。
考古学の食の世界において、一般論から一歩足を踏み入れると、不思議な論理が展開されている場合が多い。事実の一意的な解釈、特定例の拡大解釈などである。食品関係者が考古学の食の世界に目を向けることにより、これらは是正されていくと思われる。
参考文献・情報
(1)三内丸山遺跡関係の主要ホームページ
a .青森県教育庁文化財保護課HP(三内丸山遺跡):http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
b.青森県HP(三内丸山遺跡へようこそ):http://www.pref.aomori.jp/sannai/
c.青森銀行HP(三内丸山遺跡):http://www.capa.ne.jp/a-bank/maruyama/
d.東奥日報HP(三内丸山遺跡):http://www.toonippo.co.jp/kikaku/sannai/
(2)「縄文都市を掘る」p36(編集/岡田康博・NHK青森放送局、1997.1、日本放送出版協会
(3)http://www.komakino.jp/500-tanzyo/500-tanzyo.htm
(4)「遥かなる縄文の声」p55(岡田康博、2000.8,日本放送出版協会
(5)「遥かなる縄文の声」p63
(6)「縄文都市を掘る」p43
(7)「遥かなる縄文の声」p71
(8)http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2002/0317/nto0317_8.html
(9)新美倫子「三内丸山遺跡のテリトリーと食用資源」(史跡三内丸山遺跡年報3、p59、青森県教育委員会、平成12年
(10)小山修三、五島淑子「日本食史−米食の成立まで−」(大阪府立弥生文化博物館編”卑弥呼の食卓”p80、吉川弘文館、平成11年
(11)新美倫子「愛知県小原村における野生クリの採集調査」(史跡三内丸山遺跡年報4、p40、青森県教育委員会、平成13年
(12)http://www.net-ibaraki.ne.jp/odaki/kuri0.htm
(13)「遥かなる縄文の声」p54の図(岡田康博、2000.8,日本放送出版協会
(14)山口淳一
「肥培管理からみた持続的農業生産の成立要因」(平成9年度科学研究費補助金研究成果報告書「持続的農業経営システムの確立と食糧供給力への影響予測」(基盤研究(A)(2)、課題番号09356006)p1〜p2
3
(15)「縄文都市を掘る」p163
(16)佐藤洋一郎「三内丸山遺跡出土のクリのDNA分析について」(史跡三内丸山遺跡年報(2)p13、青森県教育委員会、平成10年
(17)「こまきのいせきものがたり」掲示板2(専門)
No139,140等:http://www.happy-web.ne.jp/mbspro/pt.cgi?room=komakino
(18)http://www.um.u-tokyo.ac.jp/dm2k-umdb/publish_db/books/dm2000/japanese/02/02-11.html
(19)佐藤洋一郎「縄文農耕の世界 DNA分析で何がわかったか」p61、(2000.9 PHP研究所)
(20)http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/science/Bio/200105/15-3.html
(21)http://nature.cc.hirosaki-u.ac.jp/lab/1/plantbrd/sannai/DNAkouko.html
(22)竹田功「クリ-栽培から加工・売り方まで」P35(1996/11、農村漁村文化協会)
(23)茨城県農業総合センター:http://www.agri.pref.ibaraki.jp/center/index.htm
(24)岐阜県中山間農業技術研究所:http://www.cc.rd.pref.gifu.jp/c-agri/seika/seika02b.htm
(25)http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2002/0317/nto0317_8.html
(26)岡田茂弘:「縄文の酒」http://www.thm.pref.miyagi.jp/I04/data/20000115.pdf
(27)http://ss.abr.affrc.go.jp/organization/Biotechnology/0708/
(28)http://www.yaegaki.co.jp/bio/book/html/28.html
(29)北海道の薬草一覧:http://www.doyaku.or.jp/kenkou/yakusou/yakusou008.htm
表1 縄文クッキーの栄養成分表(6)
現代クッキー 縄文クッキー 縄文クッキー
(クッキー型) (ハンバーグ型)
エネルギー (kcal) 492 430 471
水分 (g) 3 3.2 6.3
蛋白質 (g) 5.2 18 66.4
脂質 (g) 21.8 7.4 11.7
炭水化物 (g) 68.6 71.4 15.6
カルシウム (mg) 26 250 368
りん (mg) 50 222 47.7
鉄 (mg) 0.3 575 1120
ビタミン類* 0.06 80.46 148.06
ビタミンA (IU) 0 60 141
ビタミンB1 (mg) 0.04 0.32 1.16
ビタミンB2 (mg) 0.02 0.44 0.4
ビタミンC (mg) 0 19.7 5.5
*山口私註:ビタミン類の単位は記載されていないが、試算すると、数値はビタミンA〜ビタミンCの数値の合計となっている。(mg)と(IU)という単位の異なる数値を足し合わせた不可解な数値である
※この表は、食の科学、No.295の原文にはありません。山口さんからのご要望により追記したものです。