第2回目  弘前市砂沢(すなざわ)遺跡(弥生時代)

 砂沢遺跡は、桜で有名な弘前市の北はずれ、岩木山の東麓にあります。「砂沢ため池」と呼ばれる、水田灌漑用のため池の中にあるため、春などには遺跡は水中に没しています。
 ここからは明治時代の頃から、たくさんの土器や石器が出土する場所として知られ、昭和20年代には明治大学、東北大学によって発掘調査が行われています。近隣の田舎館村垂柳遺跡から弥生時代中期の水田跡が発見されてから、数年後の昭和59年に地元、弘前市教育委員会によって発掘調査が開始されました。昭和62年には、垂柳遺跡より古い弥生時代前期(およそ今から2,300年前)、位置的にも北に位置する北緯40度43分から水田跡が6枚発見されました。弥生時代の水田としては、東日本ではもっと古く、世界史的に見ても最も北に位置する水田跡といわれています。
 水田跡は6枚発見されていますが、時期がはっきり特定でき、形もわかるのは2枚で、1枚の面積が70〜80米方メートルと垂柳遺跡のものよりずっと大型です。本州の北端でも、西日本にさほど遅れることなく、コメ作りが行われていたことを実証した調査でした。
関連報告書:「砂沢遺跡」 弘前市教育委員会 平成3年3月31日発行
青森県弘前市上白銀1-1(TEL 0177-35-1111)

(付近の地図はこちらです) 
弥生時代前期の水田跡
出土遺物