「こぎん」の性質 柳 宗悦

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 冬に入れば津軽の吹雪は荒れ狂う。山も樹も家も人も、その前には力がない。手向うとも無理である。その雪が迫れば、もう外の生活はない。威圧は激しい。風が勢いを添え、寒さが痛さを加える。それに積る嵩は深い。はや十月の末にもなれば、空は雪を含んで陰鬱である。秋は早く過ぎ、続くのは物憂い冬である。夜はいたく長い。空が晴れるのは春四月を待たねばならぬ。年の半は降りしきる雪で埋められる。それよりも生活が埋められるという方がいい。この長い時間をどう暮すか。自から野良の仕事は屋内の仕事に置きかえられる。洩れてくる暗い雪明りの下で、または細い燈明を頼りに、様々な手仕事がこの時に始まる。これで時間を消すのである。否、仕事が時間を吸いとるのである。時間が残れば冬は呪いである。だが手仕事がある。これを始めれば時計の針も時を刻まない。「こぎん」も雪国の産物である。時間を忘れた産物である。せわしない国は「こぎん」が育つ故郷ではない。何の摂理か、雪と手工芸とは血縁が深い。


 こんなものはもう二度とは出来難い。まして他では出来ない。津軽は他のいかなる地方でもない。自然も歴史も人情もそれ自らである。まして昔と今とは時の流れが違う。それらの因縁が集まって、「こぎん」と呼ぶ布が産まれたのである。「こぎん」は他の国で生い立つ機縁を有たない。日本で見られる地方的工芸品のまたとない例である。
 伝統は既に絶えた。一度絶えたらもう起る望みは薄い。なぜなら特殊な前後の事情がこの手工を招いたからである。今も国は残る。今も雪は降りしきる。だが今の女達は「こぎん」を作る事情を有たない。よく「こぎん」を作り得ないのも無理はない。続けたい仕事ではあるが、おそらく「こぎん」は去ってゆく「こぎん」である。おおかた追憶に活きる「こぎん」となろう。だが美しさばかりは死なない。それはまたとない「こぎん」である。

 醜い「こぎん」はない。一枚とてない。捜しても無理である。品に多少の上下はあろう。模様に幾許かの甲乙はあろう。だが悪いものとてはない。なぜ醜い「こぎん」がないのか。別に秘密はない。法則に従順だからだと「こぎん」は答える。この答えよりはっきりしたものはない。
 すべての模様は経緯の糸で決定される。刺す者はその布目に忠順である。はずせばもう「こぎん」ではなくただの刺繍である。経緯の糸条は法則である。法に従えばこそ「こぎん」の模様がある。それは数的秩序である。数を乱せば模様は乱れる。従えばそのまま模様である。どう目を拾うとも、数が合えば実は整う。数が模様の母である。その力に委せれば模様はいつも安全である。「こぎん」に危険はない。どんな女が作ろうが、すべては美しくなる「こぎん」である。道を踏む故にそうなるのである。彼女達に力があるのではない。数への服従がこの不思議を演じるのである。今の人々は自由に急ぐ、それ故「こぎん」が出来ない不自由を嘗める。醜さの大かたは法を等閑にするからである。数と美とは結び合う。

 閉ざされた冬籠りには運命の悲しさがあったであろう。だが「こぎん」に呪いはない。作ることの喜びにここで逢える。呪いであったならこの仕事はない。これが作れればこそ人並の女である。娘としての、嫁としての誇りさえそこに見えるではないか。競うていいものをといそしんでいる。さもなくばこんな誠実な仕事はない。倦怠なこの仕事にすべての倦怠を忘れている。女達は作ることを愛したのである。愛さないようなものは、男からも愛を受けなかったであろう。娘のよしあしは「こぎん」に映る。母は手にとってそれを幼い吾が子に教えた。
「こぎん」の模様はしげしげと話題にのぼつたであろう。いる。それをどう組み合せるか、どれだけ組み合せ方を知っているか。女達の慧智がここで試験をうける。様々な模様は皆その答えである。
 好んで女達も男達もそれを纏うて、賑かな町へと指した。祝いの時、祭りの時、村々は「こぎん」の綾で織られたのである。

 なぜ北の国の一隅にこんな刺繍が発達したのか、どこからそれを想いついたか。古書に依れば紺の麻布は奥羽地方の土民の衣服であったという。刺子は恐らくその破れを繕うことから起ったであろう。あり合せの白い麻糸で、布目を拾っては丁寧に穴を埋める。見れば飛び飛びな繕いがそのまま模様である。縁の痛みを直せばこれも輪郭になる。一層始から麻布に刺してしまえば丈夫である。刺すのには布目を拾えばいい。目の拾い方でおのずと立派な模様が出てくる。手間ではあるが長い冬にはまたとない手仕事である。出来上れば誰も美しいという。一人から二人に、二人から三人に、そうして長い歳月と大勢の者とがこの仕事を盛り立ててゆく。たまたま木綿が伝ったのは、土民にとってどんなに悦びであったか。その木綿糸で刺せば冷たい麻まで温かに変る。遂にはこれがなすべき女達の手仕事である。そうしてそれが誇りにさえ高まってゆく。用に根ざして美に進むところに、「こぎん」の歴史が読める。

 だが女達は充分に従順である。みだりに手法を変えはしない。よし手間どっても一々布目を拾う。伝統には敬虔である。それ故に道を踏みはずす場合がない。その美しさは用に発し法に根ざしている。「こぎん」は健全な「こぎん」である。健全な美しさがあれば、工芸の工芸である。

 名も無い津軽の女達よ、よくこれほどのものを遺してくれた。麻と木綿とは絹の使用を禁じられた土民の布であった。だがその虐げられた禁制の中でこれほどの美しいものを産んでくれた。それを幸な不幸といおうか、または不幸な幸と呼ぼうか。人々は生活に即して、ものを美しくしたのである。これこそは工芸の歩むべき道ではないか。私達はその美しさに引かれている。数々の教えをそこから学んでいる。識らないではあろうが、それは日本にとってはまたとない刺繍なのである。遠い国の私がそれに廻り逢えた因縁を感謝する。これらのものを作った人々は大方は既に死に絶えたのである。片田舎の貧しい女達であったから、今は守る墓もなく雪の下に眠っているであろう。よし春が廻るとも、花を手向ける者は、絶え絶えになってゆくであろう。だが私は代ってこの一文を捧げる。私はこれらの文字が一つの「こぎん塚」であることを望む。これでその仕事を永く紀念しよう。私と共に心の花を手向ける人は、今後もいや増すにちがいない。「こぎん」は死なない「こぎん」である。

(「工藝」14号 昭和7年2月発行)


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店舗外観

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平成18年に青森市桜川7丁目に青森店が新築開業しました。

創業者 相馬貞三

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つがる工芸店の創業者は、民藝の創始者:柳宗悦と親交の深かった旧平賀町出身の相馬貞三です。

旧弘前店外観

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弘前市山道町にあった旧弘前店の外観です。お店の看板文字は版画家棟方志功さんです。

包装紙

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相馬貞三さんと志功さんとの縁で弘前店開店にあたりデザインしていただきました。

掲示板

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