今年の「青森ねぶた祭り」に参加した20数台の大型ねぶたを紹介します。パソコンの調子が今ひとつで、アップに手間取ってしまいました。お許しください。
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素戔鳴尊大蛇退治 作:石谷 進 |
a木曽義仲 火牛の夜襲 作:北村 隆 |
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八之太郎と南祖坊 作:穐元 鴻生 |
暫 作:穐元 鴻生 |
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玄奘三蔵西域行 作:千葉 作龍 |
不撓不屈 山中鹿之介 作:北村 明 |
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後藤又兵衛の奮戦 作:穐元 和生 |
羅生門 作:渋谷 一擲 |
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北の守護神 毘沙門天 作:木村 富美男 |
神馬「池月」 作:穐元 鴻生 |
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陰陽師 作:北村 隆 |
公時と山姥 作:竹浪 比呂央 |
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龍飛の黒神 作:竹浪 比呂央 |
斑鳩のあけぼの「聖徳太子」 作:千葉 作龍 |
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車引 作:福井 祥司 |
張順水門を破る 作:福井 祥司 |
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風神雷神 作:柳谷 優碩 |
仁王 作:白鳥 芳生 |
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浪漫海峡「鮪一本釣り」 作:千葉 作龍 |
下北伝説「矢の根八幡」 作:内山 龍星 |
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に組・東芝 |
天明卯辰梁 作:私たち一同 |
青森市の「ねぶた」や弘前市の「ねぷた」は、もともと「たなばた祭り」とか「ねぶた流し」ともよばれていた年中行事で、両市のほか津軽(つがる)・下北(しもきた)の各地でも広く行われています。人形や扇型(おおぎがた)の大きな灯籠(とうろう)を作り、昔のこよみでの7月に入った頃から、毎夜明かりをともして笛や太鼓(たいこ)ではやしをつけて町中をねり歩き、7日(ナヌカビ)の日中には川などにそれを流しました。ずっと昔のこよみで行われてきましたが、昭和30年頃から月おくれということで新しいこよみの8月7日をナヌカビ(最終日)とした日程になっています。現在では青森市が8月2日から6日まで(弘前市では1日から6日まで)夜間運行(やかんうんこう)し、7日は朝から始まります。青森市ではこの日の夕方から海上運行を行っています。
祭りの名称は、もともとどこの地区でも「ねぶた」、「ねぷた」の両方が用いられていましたが、祭りが観光化するにしたがい、青森市では昭和33年から「ねぶた祭り」、弘前市では昭和32年から「ねぷた祭り」に定着して現在にいたっており、昭和55年に両者とも国の重要無形民俗文化財(じゅうようむけいみんぞくぶんかざい)に指定されています
「ねぶた」がいつごろ、どんなきっかけで始まったかというのは明らかではなく、いろいろな説がとなえられてきました。
そのひとつに坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の伝説(でんせつ)によるものがあります。平安時代、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)の田村麻呂がこの地の蝦夷(えみし)をせいばつしたとき、灯籠(とうろう)を使っておびき出しうち取ったことがその始まりだとするものです。また、初代津軽藩主(しょだいつがるはんしゅ)為信(ためのぶ)が京都で大灯籠(だいとうろう)を作らせ、これが「津軽の大灯籠」として評判になったことから始まるとする説もありました。
そのほかさまざまな説がいわれてきましたが、民俗学的(みんぞくがくてき)には全国各地で広く行われている「眠り流し」という民俗行事と共通のものだと考えられ、最近の通説(つうせつ)とされています。「眠り流し」は暑い夏におそってくるねむけを追い払う行事で、灯籠にねむけを乗り移らせて流してやったのが、青森県ではしだいにはなやかな都市の祭礼として発達し、現在の「ねぶた」・「ねぷた」になったと考えられています。