じょうもん人も人間ですから、命を保つために食べ物を食べます。そうすると、当然のことながら、生理現象で、オシッコも出ただろうし、ウンチもしたでしょう。今に生きる私たちの常識からすると、当然、そのための施設=トイレがあっただろうと想像するわけです。一番人間的な行いなのに、図鑑やせんもんしょを見ても、じょうもん時代のトイレについての説明はほとんどありません。なぜでしょう?じつは、まだ、じょうもん時代のトイレについては、わからないことが多くて、説明のしようがない、というのが正直なところなのです。
いせきのはっくつ調査は、過去数十年にわたって、日本全国で行われてきましたが、これぞ、じょうもん時代のトイレにまちがいない、というものが発見されたことがないのです。野球場ほどの広さの面積をはっくつ調査した、あの青森市三内丸山遺跡ですら、じょうもん時代のトイレは発見されていないのです。ある人たちは、三内丸山遺跡にはおよそ500人の人たちが生活していた(わたしはそんなに多くはなく、せいぜい40〜50人と考えています)と考えています。500人もの人が、365日、毎日、一つの場所で生活すると、そのオシッコ、ウンチの量たるや、すごいものでしょうね。くみ取り式のトイレも、ましてや水洗式のトイレもなければ、500人もの人のはいせつ物で、いせきはあっという間に、いっぱいになったのではないでしょうか。はいせつ物の処理のことを考えると、じょうもん人は500人という大人数でいっしょに生活をするなんてことは、考えなかったと思います。おそらく、じょうもん人は、一カ所にまとまってはいせつ物をためておくトイレは作らず、ひっそりと林の中などでオシッコやウンチをして、自然が処理してくれるのをまったのではないでしょうか。
これぞ、じょうもん時代のトイレにまちがいない、というものが発見されたことがない、といいましたが、福井県鳥浜遺跡(とりはまいせき)では、近くを流れる川床から「ふんせき」(ウンチの化石)が多数出てきました。川床には、じょうもん時代のものと思われる杭(くい)や杭のあとがのこっていたので、この杭で桟橋(さんばし)のようなものを川の上に作り、そこで用を足していたのではないかと考えられています。いってみれば、じょうもん時代の天然「水洗トイレ」だったわけです。このような例は、非常にまれで、これからのはっくつ調査の成果に期待したいと思います。みなさんも、考古学者になってじょうもん時代のトイレの歴史を解き明かしてみませんか。